目次
■「べき」と「ねば」は自分を苦しめる思考よね(ToT)
■「べき」と「ねば」の違い
■「べき」にも2種類あった!
■するべき、の前に「どうありたいのか」
■「べき」と「ねば」は自分を苦しめる思考よね(ToT)
やらなきゃ~!と思っている時の状態って、
ものすごーーーーーくエネルギーダウンしています(-_-;)
「やらねばならない」と「やるべき」という思いが自分を苦しめる。
それに気がつかずに、一層「やらなきゃ!」「やらなきゃ!!!」と
必死にやろうとすればするほど・・・
カラ回り (-_-;)
焦り (-“-)
つまんない (+_+)
やりたくない (>_<)
キーーーーッ <(`^´)>
ってなります(笑)
調っていない状態なんですよね。
最近、気づいた事があるんですよ。
それは、
「べき」 と 「ねば」 の違い。(あくまでも私見です)
■「べき」と「ねば」の違い
私ずっと、この二つは同じだと思っていました。
だから、「〇〇すべき」も「〇〇しなければならない」も、
どっちも大敵のように思っていました。
だけど、ちょっと待てよ?
これって、違うんじゃないか?
やらなきゃーーーー!は、「やら『ねば』ならない」という思い。
これはとっても自分を苦しめる。
本当はやりたくない。だけどやんなきゃ・やらねば!
今やりたくない。だけどやんなきゃ!やらねば
やらずに済むならそうしたい。だけどやんなきゃ・やらねば!!
あぁ、いやだ、イヤだ!!!
と、こんな感じ。やっていてもイヤイヤやる感じ。追い詰められる感じ(ToT)
だけど、ここで変換してみる。
「やらねばならない」を「やるべきなんじゃない?」にしてみると・・・、
本当はやりたくない。だけど、やるべきじゃない?
今やりたくない。だけど、やるべきじゃない?
やらずに済むならそうしたい。だけど・・・やっぱりやるべきじゃない?
そうすると・・・・。
そうだね、これをやると〇〇だもんね!
だよね、私〇〇目指しているんだからね!
はい、分かりましたやります、だってやれば〇〇になるもんね♪♪(^^)
「すべき」ってイヤな意味だと思ってたんですが、
私にとってシフトが起こりました!
すべきじゃないの?と思うだけで、
「はい、その通りでございます」と、有無を言わせない納得感が生まれました(^O^)
ねばならない=エネルギーダウン
すべきじゃない?=エネルギーアップに!!
「そうなりたいなら、そうすべき、だよね。」みたいな感覚です。
分かりづらかったらごめんなさーい(。-人-。)
やらなきゃ!=ねばならない感から脱却するぞ!と決めたので
こういうシフトが起こったのかな~と思います(≧▽≦)
■「べき」にも2種類あった!
こうして、「ねばならない」感からは
⇒「それってやらなくちゃならない事じゃなくて、
やるべき事だよね~」とかなり納得を持って脱出できるように
なりました\(^o^)/
そこで、また新たな気づきが起こったんです。
「べき」にも2種類あるのでは?
①こうするべき、という行動に対する「べき」
②こうあるべき、というあり方に対する「べき」
「するべき」には、疑問を呈する余地があるように思うんです。
本当に?それってするべき?他に方法あるんじゃ?
絶対にそうなの?ん??
みたいな感じ。
やるべきだろうけど、絶対に「今・それ」なのかどうかは
正直ワカラナイ。
一方、「あるべき」には、ものすごくなんて言うか、
そこに価値観や信念や大切な想いみたいなものがあって
自分の中の確信があるような、そんな感じ。
■するべき、の前に「どうありたいのか」
私が気づいたのは、
今まで「するべき!」「ねばならない!」とか
そういう思いがたくさんあって、自分を追い込んでいたんですが、
「ねばならない」も脱出して
「すべき」からも、もっと柔軟に見直して、
本当に大事にしたい想いや価値観や信念などをもとに
「どうあるべきか?」
こっちの方が重要!
その上で「何をすべきか?」があるんだ!
という事でした。
そんな風に考えていくと、
自分を追い詰めているのは紛れもなく自分であった。
「どうあるべきか?」という事を軸に生きると、
もう自分を追い詰める必要がない。
どうあるべきか⇒私はこう在りたい。
だから、それをする。
ねばもべきも、もう関係ない!
自分の中の「在りたい自分」に正直に行動すれば
いいんだよね(^^)
自分自身の思考が調うと、行動まで調っていく。
「べき」も「ねば」も
ん?ちょっと待てよ、私、どう在りたいの?
と思う(自分に問いかける)だけで解放されていく、
そんな風に思います(^^)